名鉄7000系電車(めいてつ7000けいでんしゃ)は、名古屋鉄道(名鉄)の元特急形電車である。1988年(昭和63年)に1000系「パノラマSuper」が登場するまでは本系列が名鉄を代表する車両であり続け、1999年(平成11年)までは支線区への直通列車ではあったが、定期的に特急列車にも使用されていた。
なお、本項では本系列の中間車を先頭車化改造した7100系電車、先頭車(運転台)以外がほぼ同じ設計の7700系電車、性能は異なるが車体形状がほぼ同じ7500系電車についても解説する。
7000系と7500系は、パノラマカーの愛称でも広く知られている。
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また、7000系は1962年の第5回鉄道友の会ブルーリボン賞選考会において2位の国鉄キハ82形の約6倍という大差の得票数で受賞を果たしている。
1961年(昭和36年)に日本車輌製造で製造され、名古屋本線の特急に投入された。
名鉄の主な路線を持つ愛知県はトヨタ自動車のお膝元であり、当時芽生え始めていたモータリゼーションへの対策として、乗客にインパクトを与えられる車両の製作を企画していた。
1960年(昭和35年)8月に名鉄でデザインされたスケッチが新聞紙上に発表されたが、いざクレイモデル(=粘土で製作された検討用の模型)を作成してみたところ、社内で否定的な意見が出され、日本車輌製造へ再デザインを依頼した。同社は民間工業デザイナーの萩原政男に依頼し、現在のスタイルとなった。ちなみに、名鉄が発表したスケッチにはすでに展望室があったが、その前にボンネットが突き出た格好であった。
車体色は過去に例を見ないスカーレット一色とし、今なお衰えない奇抜なデザインと共に鮮烈な登場となった。
6両組成で出場しているが、将来の10両組成化を見越した設計がなされ、完成(引き渡し)直後には実際に10両組成での試運転を実施している[1]。
当初、車両最前部には不死鳥の"Phoenix"名を刻んだエンブレムが取り付けられていたが、1年程で「逆さ富士」型の行先表示板が設置されたため、撤去された。この逆さ富士型の行先表示板は、ブルーリボン賞受賞直後に掲げられていた記念ヘッドマークの形が基になっているとも、当時、すでに行先表示器の試作が行われ、記念ヘッドマークを同様の形で制作し、装着状況を確認したとも言われている。
1961年から刊行された鉄道趣味誌の一つである『鉄道ファン』は、地元出版社の交友社が本系列の登場に触発されて創刊したとされた。実際の創刊号には本系列が表紙を飾っている。
本系列を製造する際、車両開発部は当時の担当副社長(後に社長・会長を歴任する土川元夫)から「ブルーリボン賞を取れなかったら車両開発部・部長以下全員クビだ。」と言われていた。製作費は1編成(6両)で約2億円と当時の通常型車両(5500系)より1.5倍ほどの高価であり、正に社運を賭けた車両であった。
本系列の特徴は、運転室を前面上部に上げ、通常の鉄道車両で乗務員室が位置する部分に低床の展望室を配置したことである。万一の衝突から展望室の乗客を守るため、強力な「油圧式ダンパ」を標識灯の横に設置している。この装置は、1961年11月に木曽川堤駅隣接の踏切でモ7004号が砂利を積載したダンプカーと衝突した際に威力を発揮した[2]ことから、地元の新聞が「ダンプキラー」と報道して一躍有名となり、今もってファンの間などで語り継がれている。
運転室への出入りは、当初案は客室内からとする構想であったが、展望を妨げるとの理由から、旅客用ドアと展望窓との間の外部に設置されたはしごを用いて出入りする方式が採用された[3]。
この展望車の構想は、当時の名鉄幹部がイタリア国鉄(FS)の視察へ行った際に1952年(昭和27年)から特急「セッテベロ号」(イタリア語で7人の美女の意)に充当されていたETR 300形に強い感銘を受けたのが始まりと言われ、車両の図面自体はすでに1954年(昭和29年)頃からあった。しかし、固定ガラス張りとなる展望室内には温度調節を行うシステム(冷暖房)が不可欠なため、当時は全電動車方式の高性能車に搭載できる見通しが立たず、車両案は保留となっていた。
その後、5500系製造時に機器類を可能な限り小型化し、日本国内で初めて全電動車の車両冷房を実現させ、これにより高性能展望車の実現に目途が付いた。なお、展望室部分だけは屋上に冷房装置を搭載できないため、室内最前席の前のキャビネット内に床置き式の冷房装置を設置した。
本系列は展望室構造や前述の床置き式冷房装置のため、先頭車の車両全長は中間車の18.830mに対して19.715mと長く採られた。車体断面は日本国有鉄道(国鉄)151系のように側窓部を内傾させ、窓下の裾を絞った形状とした。但し、車体幅(外板間)は2730mmで、裾の絞りは緩く、屋根高さは5500系と同じ3500mmであり、以後の名鉄車両ではこの車体断面形状が多少の寸法変更を伴いながらも2代目3500系まで適用されている。先述のように、展望室部分は床面の高さが他の1150mmに対して1040mmの低床構造となっている。また、高所にある運転台とは別個に車掌台と車掌扉を先頭車の後位車端に設けた。ここには跳ね上げ式の補助席が設置されており、車掌台として使用しない時は着席することができる。なお、本系列の2次車以降は展望室の最前部と後方の上部にニキシー管式デジタル表示(後にLED式に換装)の速度計が設置されている。
この前面展望式の構造は、後の小田急電鉄ロマンスカー3100形「NSE」を始め、国鉄時代の165系改造車「パノラマエクスプレスアルプス」(2003年より富士急行2000形「フジサン特急」)などにも受け継がれた。同車は大好評を博し、最高速度110km/hで濃尾・岡崎両平野を快走する姿は全国の鉄道ファンを魅了したものである。また、当時の資料によれば、設計最高速度は140km/h、モーターの許容回転数では150km/hに達し、これは7500系を除いた5500系から7700系、さらに8800系「パノラマDX」(登場時)までの全車電動車編成の系列に共通である[4]。
展望室・運転台共にすべて平面ガラスのみで構成されており、曲面ガラスは一切用いられていない。
制御方式は直巻整流子電動機を用いた「抵抗制御方式」で、出力75kW(340V・246A・2000rpm)の主電動機を各車に4基ずつ搭載する全電動車方式である。弱め界磁率は30%まで可能だったが、初代5000系・5200系(50%)との兼ね合いから40%で使用してきた(40%界磁でも定格速度は110km/h)[5]。歯車比は78:16=4.875:1である。初代5000系や5200系と併結運転が可能であるが、主制御器は5500系と同じ東芝MC11型パッケージ制御器で、マスコンは直列指定段と並列指定段を持つものである[6]。直列指定段で力行を持続した場合も直列の最終段から弱め界磁制御を行うことができ、電力事情の悪かった支線や豊橋駅付近の飯田線共用区間でも変電所への負荷を抑え、また、電動機の高速特性からHL車以上の高速運転を行うことができた。これは、並列段へ移行しないため、消費電力を低減できるためである。制御段数は力行が抵抗制御17段(3次車以降13段)・弱め界磁4段、発電ブレーキが17段(3次車以降13段)で、いずれも抵抗制御と発電ブレーキの1段目が緩衝ノッチ(弱め界磁)となっている。