2009年06月30日

現在の中国共産党の対応

公式コメントでは、「わが党が犯した最大の過ちである」と認識、謝罪した。毛沢東についても、「七分功、三分過」と言う鄧小平の発言が党の見解だと受け止められている。一応教科書[6]にも取り上げられるが、中華人民共和国は現在も実質上の言論統制下にあるため「四人組が共産党と毛沢東を利用した」という記述にとどまった。

2006年5月、文化大革命発動から40周年を迎えたが、中国共産党から「文化大革命に関しては取り上げないように」とマスコミに通達があったために、中華人民共和国内では一切報道されなかった。このように「文化大革命」に関しては中華人民共和国内のマスコミにとって触れてはいけない政治タブーの一つとなった。
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紅衛兵は、街路や病院などの名前を、勝手に「革命的」なものに変更して回った。例えば、ソ連大使館があった揚威路は「反修(反修正主義)路」、アメリカの資金で建設された協和医院は「反帝(反帝国主義)医院」など。標識が撤去できなかったために変名を免れた道路もある。
紅衛兵は、毛沢東が学校の休校を命じると、自らの学校を破壊し教師たちに暴行を加えたり教科書を焼き捨てた。その後学校が再開されると、教える人や教材もない有様で、中国の発展に大きな障害となった。
当時まで粛清されずに生き残っていたかつて富農や官僚だった者が批判・迫害され、吊し上げや殺害が盛んに行われた。ついには毛沢東の父が富農だったことを批判する壁新聞が出た。

2009年06月12日

行動療法(こうどうりょうほう、behavior therapy)は

行動療法(こうどうりょうほう、behavior therapy)は、心理療法のひとつで、学習理論(行動理論)を基礎とする数多くの行動変容技法の総称。近年は広義の認知療法との交流・統合が進展し、認知行動療法と称されることも多い。
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行動療法においてターゲットとすべきは客観的に測定可能な「行動」であり、また目標とすべきは「望ましくない行動の低減」や「望ましい行動の増大」といった「行動の制御」であるとされる。心理療法の方向性による分類では「訓練療法」の一種ということになり、精神分析のような原因探求的「洞察療法」や来談者中心療法のような受容的「支持療法」とは一線を画する。 他の心理療法に比べて時間がかからず費用も少なくすむ反面、クライエント自身の主観的体験や内面的葛藤を重視していないため、特定症状を除去したところで代わりに別の症状が出てくるだけだという批判もある。

なお「療法」と称しているものの、行動療法の技法は精神科・心療内科などの医療に留まらず、種々の技能訓練、習癖の改善、リハビリテーション、障害を持つ子どもの療育、犯罪者の矯正教育など、幅広い分野において利用されている。この場合、行動変容ないし行動修正(behavior modification)の呼称が用いられることもある。数ある技法の中には、古来より経験則として用いられてきたしつけや訓練の技法を洗練したものも含まれている。

2009年06月08日

朝敵藩の双璧とされた奥羽越列藩同盟の盟主である

「朝敵藩」の双璧とされた奥羽越列藩同盟の盟主である会津藩の会津若松や、北越戦争で薩長軍と敵対した越後長岡藩の長岡は、それぞれ廃藩置県当時には比較的大きい城下町であったにも拘らず、いわゆる「賊軍」であるとされ、県庁を置くことも永久に許されなかった。

1876年8月21日には、旧会津藩領(若松県)は福島県(中通り)や磐前県(浜通り)と合併させられ、県庁も会津若松から遠い福島に置かれ、県名も郡名を取った「信夫県」ではなく、都市名を取った「福島県」とされた。

長岡が位置する中越地方(旧古志郡他)も、当初は柏崎に県庁が置かれて柏崎県となったが、旧新潟県(下越地方)や相川県(佐渡島)と合併させられ、旧越後長岡藩の領内で、1843年に天領にされた港町の新潟に県庁が置かれ、県名も郡名を取った「蒲原県」ではなく、都市名を取った「新潟県」とされた。宮武が言う所の「永久不滅の賞罰的県名」の典型例である。

ただし、宮武の主張は、県の廃置分合の過程に関わる個々の事情への考慮が薄く、単純に「史実」として受け入れることはできないという指摘もある。

越後長岡藩の場合、同藩が廃止されたのは廃藩置県の際ではなく、これに先立つ1870年11月13日であり、藩財政の破綻により藩の側からの願い出たものであった。政府はこの願出を受け入れて、同藩を廃止して隣接する柏崎県に編入した。この柏崎県は、戊辰戦争に際して薩長軍が占領した桑名藩の飛地領の中心都市である柏崎に、既に1869年8月から設置されていたものである。廃藩置県の時点で「県」に替わるべき「長岡藩」は柏崎県の一部となって既に存在しておらず、長岡を忌避してわざわざ柏崎に県庁を移したわけでは必ずしもない。

一方、会津松平家が斗南藩に移封された後の会津地方は政府直轄とされ、1869年6月13日に会津若松に県庁が置かれて「若松県」と称した。若松県は廃藩置県後も存続し、上述の通り1876年8月21日に福島県に合併された。「永久に許されない」とする前説に拘らず、7年間にわたって会津若松は県庁所在地であった。
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なお福島藩も旧「朝敵藩」であるが、藩主の板倉家の三河重原藩移封後に同じく政府直轄となって、1869年8月27日に「福島県」が設置された。廃藩置県後、福島県は一旦「二本松県」となったが、数日で「福島県」に復している。

また、仙台県→宮城県、金沢県→石川県、宇和島県→神山県など改称例の多くは、実際は人心一新を望む県からの上申に政府が応えて実施されたものである。県令として赴任した者の多くが官軍側の出身であり、「人心一新」を必要としたのが旧「朝敵藩」や旧「曖昧藩」であったことに蓋然性はあるが、宮武説のように政府が「懲罰」として体系的にそれらの県の改称を主導したと断言することは難しい。

1876年に大規模合併が実施された県では、分割運動が起こって、分割された県も存在する。1888年末に香川県が愛媛県から分離されて以来は、都道府県の分割は実施されていない。

しかし、今もなお、都道府県の分割を求める声が、市町村長や都道府県知事やネット上などで見られる。ここでは、市町村長や都道府県知事が県の分割や分離を示唆している都道府県を挙げる。

2009年04月24日

ヤンガードリアスの終了

氷床コアGISP2の酸素同位体の分析から、ヤンガードリアスの終了は40?50年の間にそれぞれ5年程度の3つの段階を経て起きたと考えられている。塵や雪の堆積速度などの他の指標から、数年で7℃という非常に急激な温暖化が起こったことを示している(Alley,R.B.,2000;Alley et. al.,1993;Sissons, J.B.,1979;Alley,R.B., et. al.,1993;Dansgaard,W.,et. al.,1989)。

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この年代は様々な手法で推定されているが、紀元前9600年頃(補正後現在から11550年前。紀元前1万年前に放射性炭素の値が平坦な《上昇も低下もしない比較的変動の少ない時期》があるため。詳しくは放射性炭素年代測と言われている。現在のところ最も有効な説では以下のものがある。

11530±50 BP -- グリーンランドGRIP氷床コア
11530+40-60 BP -- ノルウェー西部、Kråkenes湖
11570 BP -- ベネズエラ、カリオカ海盆堆積物コア
11570 BP -- ドイツ、樫/松の年輪学
11640±280 BP -- グリーンランドGISP2氷床コア
BPはbefore present(?年前)の略

ヤンガードリアスと農耕の開始
ヤンガードリアスはしばしば西アジアでの農耕の開始と関連付けられる(Bar-Yosef,O.and A.Belfer-Cohen,2002)。寒冷化と乾燥化がその地域の環境収容力の低下をもたらして前期ナトゥフ時代の住民の生活様式を変化させ、更なる気候の悪化によって食料を生産する必要性が生じたという説がある。一方、この寒冷化が終わったことが農業の開始と関係するという説もあり、この問題については議論が続いている(Munro,N.D.,2003)。シリアのテル・アブ・フレイラ遺跡(11050BP, 紀元前9050年頃)では最古級の農耕の跡(ライムギ)が発見されている。

2009年04月07日

エレクトロクラッシュ

エレクトロクラッシュ (electroclash, elektroklash とも) とは、1980年代の音楽であるニュー・ウェイヴ、ポストパンク、エレクトロ、ディスコ等を、1990年代後半のダンスミュージックの概念で解釈・再構築を行ったものである。

代表的なアーティストとして、DJヘル(Gigoloレーベル)、2 Many DJ's、LCDサウンドシステム、ADULT、ピーチズ、Felix da Housecat、Freezepop、Miss Kittin and The Hacker、Tiga、Le Tigre、Chicks on Speed、Fischerspooner、The Slants and Ladytron等がある。石野卓球もかねてからニュー・ウェイヴの影響が強くエレクトロクラッシュのアーティストとの仕事もある。

1990年代末よりニューヨークおよびデトロイト、ベルリン、ミュンヘン、フランス各地などで形成され、2000年代前半に最盛期を迎えた。エレクトロクラッシュという語は、このジャンルのグループの多くの結成を助けたDJラリー・ティー(Larry Tee)が造語したとされるが、DJヘルはその前からこのジャンルの先駆者となってきたとみなされている[1][2]。

経緯 [編集]
「エレクトロクラッシュ」というジャンル名は2001年、ニューヨークで「エレクトロクラッシュ・フェスティバル」が開催された時期から音楽マスコミの注目を集めるようになった[3]。エレクトロクラッシュは、一般受けのする当時のシンセポップやエレクトロニックミュージックに対して、よりアンダーグラウンド志向を持ちアート性を追求した[4]。音楽面ではニューウェーブやポストパンクから影響を受け、歌詞はパンクなどの怒りに満ちた歌詞から影響を受け、ビジュアル面では1960年代のポップアートなどを参照していた。またクラブではなくギャラリーなどの空間を使ってライブを行うグループも多かった。

エレクトロクラッシュ・フェスティバルは2002年にも開催され、2003年と2004年には全米・全欧ツアーを行った。このジャンルは2002年から2004年にかけてマスコミや消費者の注目を浴びたが[5]、中にはブレイク当時から大々的に特集していたメディアもあったため、本来は内実のないムーブメントでメディアが仕掛けたブームであったとの見方もある[6]。メディアの熱狂は収束したが、エレクトロクラッシュに分類されたアーティストは以後も活発に活動を続けている。

イタ飯 タップ ナビトーチ レザー ひなづる メンド オラト 若き獅子 スイセン お山 シャシー フェタミン ブルージー ハリファ シンガ マニュ チリ バカンス スタバ ピアプ プラス シュード チェス シャトル ブレン プライス ビング 風神雷神 パライパ リンプ フォッ サラバード トシン バンド チロル もうげつ ラザニ ルサロ もみがら プルーフ アップ セクター ハーベ ローション インター ザクロ ブロカ ジェラー モルダビア ファー


2009年03月23日

名鉄7000系電車

名鉄7000系電車(めいてつ7000けいでんしゃ)は、名古屋鉄道(名鉄)の元特急形電車である。1988年(昭和63年)に1000系「パノラマSuper」が登場するまでは本系列が名鉄を代表する車両であり続け、1999年(平成11年)までは支線区への直通列車ではあったが、定期的に特急列車にも使用されていた。

なお、本項では本系列の中間車を先頭車化改造した7100系電車、先頭車(運転台)以外がほぼ同じ設計の7700系電車、性能は異なるが車体形状がほぼ同じ7500系電車についても解説する。

7000系と7500系は、パノラマカーの愛称でも広く知られている。
ニュー エイジ メダリスト スポラ ぽち袋 スモーカー ブックレ リピート ハナイカダ チェーン レーター トゥース フェンス 大蔵大根 ろくまい サンパウロ とわだ シロップ たかね トロライト ブッサ ブレー シュノ ゴツコーラ チューブ インソール シルク 黒かぼ 愛宕柿 モーター ローンチ ゲリララ ヒッコリ ピタ最適 リシック サーチ恋路 オクイ パーカ シンクロ パンチャー バリティー ミャン シート フラン アップ ハンマ ティッシモ デトロ 万寿国 ブルー

また、7000系は1962年の第5回鉄道友の会ブルーリボン賞選考会において2位の国鉄キハ82形の約6倍という大差の得票数で受賞を果たしている。

1961年(昭和36年)に日本車輌製造で製造され、名古屋本線の特急に投入された。

名鉄の主な路線を持つ愛知県はトヨタ自動車のお膝元であり、当時芽生え始めていたモータリゼーションへの対策として、乗客にインパクトを与えられる車両の製作を企画していた。

1960年(昭和35年)8月に名鉄でデザインされたスケッチが新聞紙上に発表されたが、いざクレイモデル(=粘土で製作された検討用の模型)を作成してみたところ、社内で否定的な意見が出され、日本車輌製造へ再デザインを依頼した。同社は民間工業デザイナーの萩原政男に依頼し、現在のスタイルとなった。ちなみに、名鉄が発表したスケッチにはすでに展望室があったが、その前にボンネットが突き出た格好であった。

車体色は過去に例を見ないスカーレット一色とし、今なお衰えない奇抜なデザインと共に鮮烈な登場となった。

6両組成で出場しているが、将来の10両組成化を見越した設計がなされ、完成(引き渡し)直後には実際に10両組成での試運転を実施している[1]。

当初、車両最前部には不死鳥の"Phoenix"名を刻んだエンブレムが取り付けられていたが、1年程で「逆さ富士」型の行先表示板が設置されたため、撤去された。この逆さ富士型の行先表示板は、ブルーリボン賞受賞直後に掲げられていた記念ヘッドマークの形が基になっているとも、当時、すでに行先表示器の試作が行われ、記念ヘッドマークを同様の形で制作し、装着状況を確認したとも言われている。

1961年から刊行された鉄道趣味誌の一つである『鉄道ファン』は、地元出版社の交友社が本系列の登場に触発されて創刊したとされた。実際の創刊号には本系列が表紙を飾っている。

本系列を製造する際、車両開発部は当時の担当副社長(後に社長・会長を歴任する土川元夫)から「ブルーリボン賞を取れなかったら車両開発部・部長以下全員クビだ。」と言われていた。製作費は1編成(6両)で約2億円と当時の通常型車両(5500系)より1.5倍ほどの高価であり、正に社運を賭けた車両であった。

本系列の特徴は、運転室を前面上部に上げ、通常の鉄道車両で乗務員室が位置する部分に低床の展望室を配置したことである。万一の衝突から展望室の乗客を守るため、強力な「油圧式ダンパ」を標識灯の横に設置している。この装置は、1961年11月に木曽川堤駅隣接の踏切でモ7004号が砂利を積載したダンプカーと衝突した際に威力を発揮した[2]ことから、地元の新聞が「ダンプキラー」と報道して一躍有名となり、今もってファンの間などで語り継がれている。

運転室への出入りは、当初案は客室内からとする構想であったが、展望を妨げるとの理由から、旅客用ドアと展望窓との間の外部に設置されたはしごを用いて出入りする方式が採用された[3]。

この展望車の構想は、当時の名鉄幹部がイタリア国鉄(FS)の視察へ行った際に1952年(昭和27年)から特急「セッテベロ号」(イタリア語で7人の美女の意)に充当されていたETR 300形に強い感銘を受けたのが始まりと言われ、車両の図面自体はすでに1954年(昭和29年)頃からあった。しかし、固定ガラス張りとなる展望室内には温度調節を行うシステム(冷暖房)が不可欠なため、当時は全電動車方式の高性能車に搭載できる見通しが立たず、車両案は保留となっていた。

その後、5500系製造時に機器類を可能な限り小型化し、日本国内で初めて全電動車の車両冷房を実現させ、これにより高性能展望車の実現に目途が付いた。なお、展望室部分だけは屋上に冷房装置を搭載できないため、室内最前席の前のキャビネット内に床置き式の冷房装置を設置した。

本系列は展望室構造や前述の床置き式冷房装置のため、先頭車の車両全長は中間車の18.830mに対して19.715mと長く採られた。車体断面は日本国有鉄道(国鉄)151系のように側窓部を内傾させ、窓下の裾を絞った形状とした。但し、車体幅(外板間)は2730mmで、裾の絞りは緩く、屋根高さは5500系と同じ3500mmであり、以後の名鉄車両ではこの車体断面形状が多少の寸法変更を伴いながらも2代目3500系まで適用されている。先述のように、展望室部分は床面の高さが他の1150mmに対して1040mmの低床構造となっている。また、高所にある運転台とは別個に車掌台と車掌扉を先頭車の後位車端に設けた。ここには跳ね上げ式の補助席が設置されており、車掌台として使用しない時は着席することができる。なお、本系列の2次車以降は展望室の最前部と後方の上部にニキシー管式デジタル表示(後にLED式に換装)の速度計が設置されている。

この前面展望式の構造は、後の小田急電鉄ロマンスカー3100形「NSE」を始め、国鉄時代の165系改造車「パノラマエクスプレスアルプス」(2003年より富士急行2000形「フジサン特急」)などにも受け継がれた。同車は大好評を博し、最高速度110km/hで濃尾・岡崎両平野を快走する姿は全国の鉄道ファンを魅了したものである。また、当時の資料によれば、設計最高速度は140km/h、モーターの許容回転数では150km/hに達し、これは7500系を除いた5500系から7700系、さらに8800系「パノラマDX」(登場時)までの全車電動車編成の系列に共通である[4]。

展望室・運転台共にすべて平面ガラスのみで構成されており、曲面ガラスは一切用いられていない。

制御方式は直巻整流子電動機を用いた「抵抗制御方式」で、出力75kW(340V・246A・2000rpm)の主電動機を各車に4基ずつ搭載する全電動車方式である。弱め界磁率は30%まで可能だったが、初代5000系・5200系(50%)との兼ね合いから40%で使用してきた(40%界磁でも定格速度は110km/h)[5]。歯車比は78:16=4.875:1である。初代5000系や5200系と併結運転が可能であるが、主制御器は5500系と同じ東芝MC11型パッケージ制御器で、マスコンは直列指定段と並列指定段を持つものである[6]。直列指定段で力行を持続した場合も直列の最終段から弱め界磁制御を行うことができ、電力事情の悪かった支線や豊橋駅付近の飯田線共用区間でも変電所への負荷を抑え、また、電動機の高速特性からHL車以上の高速運転を行うことができた。これは、並列段へ移行しないため、消費電力を低減できるためである。制御段数は力行が抵抗制御17段(3次車以降13段)・弱め界磁4段、発電ブレーキが17段(3次車以降13段)で、いずれも抵抗制御と発電ブレーキの1段目が緩衝ノッチ(弱め界磁)となっている。

2009年03月07日

ソルトレイクシティ (重巡洋艦)

ソルトレイクシティ (USS Salt Lake City, CL/CA-25) は、アメリカ海軍の重巡洋艦。ペンサコラ級重巡洋艦の2番艦。艦名はユタ州ソルトレイクシティに因んで命名された。本艦はしばしば「スウェイバック・マル Swayback Maru」と呼ばれ、(非公式ではあるが)艦隊のどの艦よりも多くの作戦に参加した艦であった。
ステンレス トマホーク バスク ダンプカー スポード プラーク スタミナ メード オーダー ケーブル 浮き桟 ミシガン マイカ トレビ レーン ベニトアイト リップ シェフ コムサット スプラ チオノ タイト サフー ナウシカ パラレル マッカー しらさぎ ミュージア カフェオ バート ベリー レガシー きくすい ジェジェ ダイオプ チャツ フレンチキ ソフト トラコーマ アンデス スエズ 五節の舞姫 ギョーザ ステミン イバル オード ラップ ローマ フェルミ ヘマタ

ソルトレイクシティは1927年6月9日にニュージャージー州カムデンのアメリカン・ブラウン・ボヴェリ・エレクトリック社(ニューヨーク造船所の子会社)で起工した。1929年1月23日にヘレン・バッジによって命名、進水し、1929年12月11日にフィラデルフィア海軍工廠で艦長F・L・オリヴァー大佐の指揮下就役した。

第二次世界大戦
ソルトレイクシティは第二次世界大戦の戦功で11個の従軍星章を受章した。また、アリューシャン方面の戦いにおける功績で殊勲部隊章を受章した。

戦後
戦後の多くの軍艦同様ソルトレイクシティは直ちに不活性化が命じられた。当初西海岸に到着後第3艦隊に合流し、10月に不活性化が行われる様命じられた。しかしながら10月29日、太平洋から帰還兵を運ぶマジック・カーペット作戦への参加を命じられた。

11月14日、ソルトレイクシティはクロスロード作戦(ビキニ環礁での原爆実験)での標的艦のリストに加えられた。各種装備は取り外され、乗員の数も縮小された上で1946年3月に真珠湾に向かった。

ソルトレイクシティは7月1日に行われたABLE実験(B-29からの投下による空中爆発実験)および7月25日に行われたBAKER実験(上陸用舟艇から吊り下げられた水中爆発実験)に使用された。2度の核爆発に耐えたソルトレイクシティは8月29日に退役し、処分のため保管された。その後1948年5月25日、カリフォルニア州南部沖合130マイル (240 km) の海域で標的艦として海没処分された。ソルトレイクシティは1948年6月18日に除籍された。

2009年02月19日

カーデシア人(英語:Cardassian)

カーデシア人(英語:Cardassian)はアメリカのSFテレビドラマ『スタートレック』シリーズに登場する架空のヒューマノイド型異星人。
どんどん橋 バンケット ドラント カステラ セルフ ターン トーチカ ピアサポタ リーバス クロラール キッチ かほく ビジター スピカ 大地の景色 モンゴル 真昼の月日 ドス上位 オーバリ マグネ クロマト モンタント やんぐこ セレス カウハイド ハナショ たそがれ フカロッ ヒノキ ベット カリス マニキ こちんだ バイサイド ラフ アウト タイガー キュラ やまびこ ブーム 大冒険 スケット トランス ハーレム クライ ジンマカオ バック ロスマリン キレイ モアイ

惑星連邦、クリンゴン帝国に隣接し、アルファ宇宙域に広がる星間国家の一つカーデシア連合を統治する。カーデシア連合は軍事政権によって支配されている。ガロア級戦艦などを多く保有し、ドミニオン戦争以前は惑星連邦に拮抗する戦力を有していた。惑星連邦と長きに渡って交戦していたが、現在は一応友好関係を結んでいる。また長らくベイジョーを支配していたが惑星の統治権を返還した(『スタートレック:ディープ・スペース・ナイン』)。

登場はTNG、それも湾岸戦争以後であり、イラクやその他の中東反米独裁国家のメタファーである(ただし宗教色は一切ない)。

爬虫類を連想させる外観を持つ種族である。灰色の肌で顔と首にはウロコのような模様がある。背は高く皮膚は硬い。額にあるスプーン状の突起や、首から肩にかけてエラが張ったように浮き出た骨格が印象的である。母星は高温で乾燥した土地柄の為、寒さに弱い。高い室温を好む為、長期間人間の環境で暮らすことは体に負担をかけるようだ。デザインはやはりトカゲとスプーンをモチーフにしており、「スプーン頭」という差別用語も存在する。

精神
クリンゴン人同様に戦闘民族であるが、名誉の為ではなくあくまで自国の目的を達成するために戦っている。拷問なども行う。倫理や秩序を厳格に守る種族であるが、それはあくまで彼らの価値観に沿ったものであり、他種族から見れば狡猾で冷酷な種族と受けとられることが多い。プライドが高い民族で、特に他種族と関わる時には体面を非常に気にする。

カーデシア人は家族を大切にする種族である。大家族主義が定着しており、子持ちのカーデシア人は子供について話すことも多い。また、子供に対する義務を放棄することは赦されざる行為と見なされている(その一方、親のいない子供や他種族との混血児には普通の子供と同じ権利は与えられない)。他の種族と違い、戦闘や政治に参加する女性は登場しない。女性は司法関係者や学者、技術者などの仕事をしているか、家庭を守っているようである。特に技術者・科学者などは、カーデシアでは男には向かない職業とされている。秩序的な種族らしく、男女で明確な役割分担がされているようだ。

文化
倫理と秩序を好むカーデシア人にとって、数少ない娯楽の一つが公開裁判である。判決は始まる前から決まっており、原則として覆されることはない。また、サウナで汗を流すことも好まれる。文学や絵画、建築など独特の芸術も発達している。エリム・ガラックのように他種族の娯楽に手を出す変わり者もいる。

カーデシア料理でよく使われる調味料に「ヤモック・ソース」がある。カーデシアの料理や飲料は蛍光色のシチューや「カナール」という色が黒くドロっとした酒など、カーデシア人しか口にしないとされるほど独特で、他種族に親しまれているものはないようだ。

母星であるカーデシア星系第6惑星カーデシア・プライム(Cardassia Prime)はかつて豊かな星であったが、長年に渡って資源を浪費してきた為、ついに枯渇してしまい、彼らの精神も変えてしまったようだ。小さいながらも豊かな星であったベイジョーが侵略を受けたのも、そういう経緯が影響している。

政治
中央司令部(軍部)とオブシディアンオーダー(諜報機関)が国政を担っており、両者は対立している。反体制運動を起こす者もいるがすぐに亡命せざるを得なくなるか、さもなくば闇に葬られる。『ディープ・スペース・ナイン』中盤までは上記の通りであったが、ドミニオン戦争を経てこの体制は大きな変化を遂げる事になる。

歴史
1571年:(西暦、以下同じ):古代ベイジョー人が太陽帆を使った宇宙船でカーデシア・プライムを訪れる。当時この星は平和で豊かな社会だったが、やがて資源が枯渇し、疫病も流行する中で軍事国家への道を辿る。
1925年:ワープ航法を習得。
2328年:ベイジョーを占領する。
2340年:惑星連邦と紛争状態になる。
2367年:惑星連邦との間に緩衝宙域が設定される。
2369年:ベイジョーから撤退する。
2371年:オブシディアン・オーダーとロミュランのタル・シアーとの連合艦隊がドミニオンの本拠地を攻撃しようとするが敗退、オブシディアン・オーダーの力は衰える。
2372年:デタパ評議会が新政権の主導権を握る。クリンゴンがカーデシア領に侵攻する。
2373年:ドミニオンに参加、クリンゴンを撃退する。
2375年:ドミニオンへの大規模な叛乱が起きる。同年、惑星連邦、クリンゴン、ロミュランとカーデシア人叛乱軍の連合部隊がドミニオン司令部を攻略するが、カーデシア・プライム本土が戦場となったことで多くの犠牲を出す。

支配下の星
カーデシア・プライム
セルトリス3号星
チントカ星系

代表的なカーデシア人
ガル・デュカット(ガルは軍人の称号で司令官クラスを指す)
エリム・ガラック
エナブラン・テイン(ガラックの父)
ダマール
ガル・イヴェック
セスカ(『スタートレック:ヴォイジャー』の初期セミレギュラーでマキ出身。当初はベイジョー人と思われていたが、カーデシアが整形手術までして送り込んだスパイだった)

その他
カーデシアは『新スタートレック』の途中で初登場したが、設定がかたまっていなかったため、初回のみ異なる表現が多い。主なものは頭髪が生えている、艦内ではリング状の冠をかぶっている、エネルギーがピンク色(後で黄色になる)など。またこの時メインゲストをつとめたカーデシア人ガル・マセット役のマーク・アレイモ(TNGの初期話「宇宙空間の名探偵」でも地球人役を演ずる)は、DS9でデュカット役を射止める事になる。またこの話でマセットの部下のグリン・ダロはマイルズ・オブライエンとも会話している。

2009年01月20日

茶の湯において茶会

懐石(かいせき)とは、本来茶の湯において茶会の際、会の主催者である亭主が来客をもてなす料理をいい、禅寺の古い習慣である懐石にその名を由来する(詳細は歴史の節を参照)。懐石料理とも呼ばれる。懐石を弁当にしたものを点心という。

懐石料理とは茶道の形式に則した食事の形式である。利休時代の茶会記では、茶会の食事はただ「会」とのみ記されており、本来は会席料理と同じ起源であったことがわかる。江戸時代になって茶道が理論化されるに伴い、禅宗の温石(おんじゃく)に通じる「懐石」の文字が当てられるようになった。懐石とは寒期に蛇紋岩・軽石などを火で加熱したもの、温めた蒟蒻(こんにゃく)などを布に包み懐に入れる暖房具を意味する。

「懐石」が料理に結びつく経緯は諸説ある。一に修行中の禅僧が寒さや空腹をしのぐ目的で温石を懐中に入れたことから、客人をもてなしたいが食べるものがなく、せめてもの空腹しのぎにと温めた石を渡し、客の懐に入れてもらったとする説。また老子の『徳経』(『老子道徳経』 下篇)にある被褐懐玉の玉を石に置き換えたとする説などである。

天正年間には堺の町衆を中心としてわび茶が形成されており、その食事の形式として一汁三菜(或いは一汁二菜)が定着した。これは『南方録』でも強調され、「懐石」=「一汁三菜」という公式が成立する。また江戸時代には、三菜を刺身(向付)、煮物椀、焼き物とする形式が確立する。さらに料理技術の発達と共に、「もてなし」が「手間をかける」ことに繋がり、現在の茶道や料亭文化にみられる様式を重視した「懐石」料理が完成した。なお、『南方録』以前に「懐石」という言葉は確認されておらず、同書を初出とする考えがある。

懐石料理と「茶懐石」
現代では茶道においても共通する客をもてなす本来の懐石の意味が廃れ、茶会の席上で空腹のまま刺激の強い茶を飲むことを避け、茶をおいしく味わう上で差し支えのない程度の軽食や類似の和食コース料理を指すといった実利的な意味に変化している。

懐石料理は茶会以外の場、例えば料亭や割烹などの日本食を扱う料理店をはじめとして様々な飲食店で懐石料理を提供するところが増え、茶事における懐石を特に「茶懐石」と表わして区別することもある。この一因には、料理店で提供される際に、料理を持ち出す順序、提供される順序などが「茶懐石」と若干異なることにある。たとえば茶懐石ではじめに提供される飯と味噌汁は料理屋の懐石では省略され、先に八寸が提供されることが多い。また一人一人に料理が盛って持ち出され、茶席におけるように、取り回し時に特別の作法を言われぬことなど、総じて料理屋で食べる懐石料理は打ち解けたものであることが多い。また料理店によっては料理のみを提供し、料理の後に薄茶の提供がないこともままある。

加えて、懐石料理は本来量が少なかったことから、量の少ないコース料理全般を懐石と呼ぶ傾向があり洋風懐石や欧風懐石といった名称の料理が存在する。

懐石の流れ
正午の茶事の懐石を想定して、流れを説明する。なお、流派等によって若干の違いがある。
ビーシ イズミル サイド トレハ シェブロ マイラー ホウオウ マドレーヌ マルチビ チャー ピナクル マックス エデン 恋のラジオ 桔梗ナビ 桜桃 セリ対策 テナント メンタル スペー パワー あぴお スタート ジョイ ナビゲ レバー支援 トルマン アポク オフライ フォートラン まっち レンゲ ブラウザー ビネガ ナイト テオプ ふぁんでる ヨットパ まぜり タイザー チケット サラシア 秋の夕暮れ ジンギ スタンス ロールフ えせん バック オイディ コスト

飯、汁、向付
飯碗、汁碗、向付を乗せた折敷(おしき、脚のない膳)を亭主自ら運び、客に手渡す。膳の手前左に飯碗、手前右に汁碗、奥に向付が置かれ、手前に利休箸(両端が細くなった杉箸)を添える。箸置は用いず、箸は折敷の縁に乗せかけてある。飯碗と汁碗は塗り物の蓋付き碗、向付は陶器製の皿を用いるのが普通である。飯碗には炊きたての柔らかい飯を少量盛り、汁碗の味噌汁も具が頭を出す程度に控えめの量にする。向付は一汁三菜の一菜目にあたるもので、なます、魚の造りなどを盛る。飯は一口程度を残し、汁は全部吸い切り、向付は酒が出されてから手を付けるのがマナーとされている。客が汁を飲み切った頃合を見て、亭主が銚子と盃台(客の人数分の盃が乗っている)を運び、客に酒を注ぐ。客はここで向付の肴に手を付ける。酒は懐石の中で3回ほど出される。

2009年01月13日

動物園の檻の中で母と共に

2号 - ブービー(声優:大竹宏)
チンパンジーの子供。旧作では動物園の檻の中で母と共に暮らしており、新作では老夫婦のペットとして生活している。進化したバード星人から見れば、地球人類とチンパンジーの差など無いに等しいという理由でパーマンに選ばれる。事実、非常に賢く、ジェスチャーで会話をしたり探し物をしたりと、チームの中ではパーやんに次ぐ切れを見せて活躍。特に偵察・情報収集能力に優れているとの記述がある。隣家の飼い犬に正体がばれ、窮地に陥ったこともある。バナナが大好物。旧作から「ブービー」という名前はあるが、旧作ではパーマン仲間が動物園での名前は知らない、という意図かからか他のパーマン仲間からは単に「2号」(めったに無いが「パーマン2号」)と呼ばれているのに対し、新作ではパーマン仲間からも「ブービー」と呼ばれている。月の小遣いは4000円。趣味はモデルガン収集。
3号=パー子 - 星野スミレ(ほしの すみれ)(声優:TV1作目=栗葉子、TV2作目以降=増山江威子)
詳細は星野スミレを参照。
3人目のパーマンで、唯一の女性。だが、その正体は国民的アイドル小学生歌手の星野スミレである。
4号=パーやん - 大山法善(おおやま ほうぜん)(声優:TV1作目=加茂喜久、TV2作目以降=肝付兼太)
700年の歴史がある大阪の寺、金福寺に住む優秀な小坊主。『正義はなにも人助けだけやない』と、パーマンパワーをアルバイトにも活用し金儲けに励みコピーロボットと共に運送業も営んでいる。しかし5人の中で最も知能?実力共に秀でており、頼れる存在。その為、パーマンのチームの中で唯一正体が他人にばれた事が無い。しばしば、優れたあるいは奇抜な作戦を立案して難事件の解決に貢献する。めったに窮地に陥ることはないが、かつて冷凍拳銃の使い手・アイスマンに凍結されたり、雪山でイエティと思われる謎の生物達から間接的な攻撃を受け、全身打撲のケガを負った等、数少ない経験がある。時限爆弾と共に捕らえられた際も、救援より犯人逮捕を優先させるなど責任感も非常に強く、拷問を受けても平気な顔をしているなど精神力も非常にタフである。しかしパーマン任務を最優先するという、パーマンとしての使命はしっかりと果たしており、また金稼ぎも一攫千金のような浮ついた方法は好まない。あくまでも堅実に金を稼ぐことを好んでおり、決して守銭奴な性格ではない。年齢は不詳だがミツ夫やスミレよりも年上である。藤子F作品の『中年スーパーマン左江内氏』の最終話に登場している。1号や3号のような「素顔の自分とパーマンとしての自分との葛藤」が描かれることは無く、『中年スーパーマン左江内氏』でも語るようにパーマンとしての力を最も自然に受け入れている。
なお、本名に関しては、「別冊少年サンデー」1967年11月号に掲載された人物紹介では「大山 金太郎」となっているが、後に上記の「法善」に変更された。
五号=パー坊- 山田浩一(やまだ こういち)(声優:白石冬美)
通称、コーちゃん。2歳の赤ん坊。1号がミツオである事を偶然見てしまい、秘密を守らせる為(半ば強引に)パーマンチームに入れられた。アニメではTV1作目には登場していたものの2作目以降では割愛、放送開始に伴い連載された新作からも消し去られてしまった不遇のキャラクター。作中に登場しなくなっただけではなく、カバオが「パーマン5号にしてくれ」と発言するなど、存在そのものが無いものとされている。パー坊が登場したエピソードの多くは小学館の単行本に収録されておらず、現在はコロコロ文庫第2巻の「特大クリスマス」にのみ登場。この他、2002年7月に刊行されたコンビニ販売用レーベル「My First BIG」版の第3巻にパー坊初登場の回が特別収録された。
バードマン(声優:安原義人)/スーパーマン(声優:島田彰)
パーマンチームを取りまとめる超人。バード星(旧作ではスーパー星)からバードマン(旧作ではスーパーマン)候補を見付ける為に色々な星へ出向き、バードマン見習いとしてパーマンセットを与えて実力を試す。その際テストとして心を調べていたらしい。正体の露見など規律違反には冷酷な態度で臨むが、杓子定規ではなく寛大な面を見せたり、落ち込むミツ夫を激励するなど愛情を見せることもある。また、いささかドジでうっかり者な部分もある。様々な超能力を持つ。毎回の出動では直接指揮は執らず、あくまでもパーマン達の自主的な活動に任せてその遂行力を監察。最終回ではバードマン候補に選抜されたミツ夫の他にも世界各国から選抜された多くのパーマンがバード星へと旅立って行ったので、地球にやって来ていたバードマンは一人ではないと思料される。
新作においてバードマンとなったのはスーパーマン=超人から引っ掛けて、超人→鳥人=バードマンとなった。

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