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治安維持法

1922年(大正11年)、共産主義インターナショナルコミンテルンは日本の君主制廃止をテーゼに掲げた(日本共産党においてはこの22テーゼは草案段階に終わるが)。このような国体変革を狙った外国勢力主導の動きに対して、1925年公布の治安維持法は「国体の変革」を目的とした結社を禁止し、さらに1928年の法改正で最高刑が死刑に引き上げられた。治安維持法でいうところの「国体」は大審院判決によれば「我帝国は万世一系の天皇君臨し統治権を総覧し給ふことを以て其の国体と為し治安維持法に所謂国体の意義亦此の如くすへきものとす」(大判昭和4年5月31日刑集八巻317頁)とされた。治安維持法により共産主義が厳しく弾圧されるとともに、この頃から国体変革が言語タブーと化すようになる。
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1927年(昭和2年)、新たに結成された立憲民政党が政綱に「議会中心的主義」と掲げたのに対し、翌年、その対立政党である立憲政友会の鈴木喜三郎(当時内相)は「議会中心主義などという思想は、民主主義の潮流に棹さした英米流のものであって、わが国体とは相容れない」(大阪朝日新聞1928年2月20日)と批判。逆に、政友会内閣が締結したパリ不戦条約に「人民の名において」という文言があったのをとらえて、野党民政党はこれを国体に反するものとして論難した。大正デモクラシー的国体論とは逆の方向へと議会人自らが歩みだしたのである。

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2009年09月17日 00:19に投稿されたエントリーのページです。

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